なぜ,ベルテルスマンが何億もの金を出しながらナップスターを得たのか。そして生き存えさせるのか。それは,「はじまり」の可能性を持っているものには,なんにでもすがりたい,その気持ちだけだ。
ベンチャー・ストラテジー・パートナーズ社の調査では,成人ネットユーザーの1/3は音楽をダウンロード,ストリーミングで聴いたことがあり,そのうち1/3は頻繁にそれを行っているという。音楽の有料サービスにいくらなら支払うかという質問には,1ヶ月50曲で15ドル,無制限ストリーミングで1ヶ月12ドルが適当としている。
昨日,ベルテルスマンのナップスター買収が大きく報じられている(CNET Japanの記事)。一般紙などの報道の仕方はあのナップスターもとうとう軍門に降った,という感じだが,考えなければいけない論点はまったく異なる。ナップスターはその「はじまり」にこそ意味があり,「終わり」には大して意味はない。どこに買収されようが,破産しようがなんの意味もない。その「はじまり」,である音楽の自由流通は,未来永劫終わりはないんだからね。
ネット以外では生き延びられない音楽は,いまだに消費者にふさわしい値段付けができていない。冷静に音楽を売っているサイトに行くと,冷笑しか出てこない。記事の調査結果にある消費者が望む価格と,現行CDと同じ値段を付けようとする音楽業界とのあいだの開きは大きすぎるというより将来的にも一致するとは思えず,「主流になりつつある」というタイトルは「音楽業界との一致をみずに」という条件付きだ。つまり,こちらは「はじまり」も起こってない。そして,現行の音楽業界のなかに「はじまり」を創れるものはいない。それを知っているから,ベルテルスマンはナップスターを殺せないんだ。
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